鷹岡の歴史
富士市鷹岡は、製紙業が盛んな街です。
明治23年に富士製紙入山瀬工場が操業を開始しその第1号マシンとして、
ブラック・クローソン社(米オハイオ州)製の長網抄紙機を輸入して稼働をスタートしました。
機械が搬入された際、解かれた梱包の中に部品類とともに一体の像が入っていました。
当初はそれが何なのか分からなかったので、担当者が同社に問い合わせたところ、
幸運をもたらすお守りとしての意味を持つマスコットだという回答を得ました。
黒人少年をかたどった高さ60cmほどのマスコット人形は「PAPER」と
書かれた旗を右手にかざしており、
その後も長い間、会社事務所の玄関脇に据えられていました。
やがて時代は太平洋戦争に突入し戦時の敵視思想の中でも、
社員のみならず地元の人々にも広く愛されていた彼は、
壊されたり捨てられたりすることもなく大事に保管され、
現在は、東京王子の「紙の博物館」に寄贈されて、
同館の入り口に当時のままの姿で立っています。
このマスコットボーイは近代製紙産業の街・鷹岡の栄枯盛衰を、
長い間つぶさに見続けてきた、いわば歴史の証人でもあります。
平成4年、地元の鷹岡中央振興会が中心となり、
このマスコット実物から型取りして復元した銅像を、
鷹岡本町商店街のポケットパーク内に建立しました。
この鷹岡を象徴するモニュメントには、
再びこの街が輝かしい時代の幕開けを迎えられるよう願いを込めて
「夜明けの像」と名付けられたのです。